四代目 曽根宏昭のエピソード
サラリーマンからの脱出
1993年平成5年のことでした。
前社長が突然の病気により倒れて、「もう仕事ができなくなった」と私の所に連絡が入りました。
私はその当時サラリーマンをしており外出しておりました。
今の仕事とは、まったく別の職種についておりました。
社長に呼ばれて、私は実家に向かい、社長と話をした結果「三代続いた曽根葬祭をここで無くしてはなるものか」と思い社長の意思を継ぎ実家に戻ることにして葬儀社の道に入る事にしたのです。
ここからが私の葬儀業界のスタートでありました。
実家に戻りまず「葬儀業界の職種」で思ったのが、時間の配分です。
これが私には良くわかりませんでした。
サラリーマン時代と違って、接客の際、分刻みでお客様が来る訳でもなく、来店して下さるお客様もあまりなく、時間のすごし方にすごく戸惑いがあったのを、よく覚えております。
まず、最初に考えたのが、お客様がどうしたらお店に来店して下さるのかという事を考えました。
とりあえず店には祭壇のセットが入っており、お客様とお話をするスペースもなく祭壇を店から出して、倉庫に移動して、お客様と打ち合わせをするテーブルとイスを設置致しました。
続いて、葬儀社という「暗いイメージ」がありましたので店に有線放送を入れて BGM を流すことにしました。
そして最後に考えたのが、仏具等お線香を店にいくつか販売出来るように致しました。その結果、徐々にではありましたが、お客様が来店していただけるようになり、固定のお客様がつくようになりました。
仏具の購入やご葬儀のお話やご法事の話など、他にも世間話といった、会話が始まるようになったのを、今でも覚えております。
初めてのお客様との打ち合わせ&お見積もり実家の葬儀社に戻ってきてはじめての自分が担当させて頂いた仕事を今でも懐かしく思います。
なぜならばこの第一番目のお仕事が私の原点でありますから。
初めての葬儀の打ち合わせは今でも心の中にはっきりと残っているのを、覚えております。
そのときの仕事の様子を少しここでお話させていただきますと・・・ 時間帯は日中(お昼頃)だったと思います。
お客様からのお電話を頂き、「○○丁目の○○と申します。実は今、○が自宅で亡くなりました。直ぐに来ていただけませんでしょうか」という電話の内容でした。
私は「はい、かしこまりました。直ちにお伺いさせて頂きます」と言って受話器を置き早速、葬儀の打ち合わせの準備を致しました。
ここまでは良かったのですが、御喪家に行っていざ「葬儀の打合わせをどのようにするのか、どんな話をしていいのか」お恥ずかしい話し、右も左も分かりませんでしたので、「お客様の所へ1人で行って打合わせをする事を考えると」・・・頭は真白になってきて、あげくのはてに、胸は「ドキドキ」手足は「ガクガク」の状態になってきました。
やむを得ず、同じ組合でお世話になっているAさんに電話をしてAさんが、たまたま何も予定がなく一緒に打合せに同行して頂けるということになり「ホッ」とひと安心でした。
Aさんとは、年もそんなに離れてなく、私の兄貴みたいな存在の方でしたから。
2人で御喪家に伺い、あとはAさんにお願いして、どういうふうにお客様と打合せをしていくのかを横でついて見いてるのが、精一杯だったのを今でも懐かしく覚えています。
打ち合わせ、見積もりが終了してAさんに「1回目はこれでいいから、この次の仕事は1人で打合せ見積もりするんだよ」と言われた時は、再び私の胸はボルテージ最高に達してドキドキでした。
第1回目のお仕事はAさんのお手伝いにより、おかげさまで無事に終了することが、出来ました。
Aさん当時はお世話になりまして、本当にありがとうございました。
夜間(夜中)のお客様からの1本のお電話「今でも夜中の電話はパッと目がさめてドキドキです」葬儀の現場打ち合わせを1回2回とこなして行くうちに、初めて夜中の仕事のお電話を頂き体験を致しました。
時間帯にして明け方の4時から5時頃だったと思います。
電話の内容をお伺いしてみると「今、○が亡くなりました。○○病院から電話しております。直ぐに来ていただけませんでしょうか」というお電話の内容でした。
私は、「はい、かしこまりました。お支度をして直ぐお伺いいたします」と言って受話器を置き。
蒲団から飛び出して、出発の準備をしました。
外はまだ真暗です。私の頭はまだ少し「ポーッ」としていましたが直ぐに洗面所にかけこんで、頭から水をジャージャーとかけ、目をさまして、コーヒーを一気にガブ飲みです。
Yシャツに着替えて、ネクタイをしめ、いざ○○病院へ出発です。
私は思いました。お客様(ご喪家の事を考えれば)おうちの方々は、一睡もしていないし、お疲れになっていらっしゃるのだから、私なんか「眠らなくたって、また今晩眠ればいいんだと」思うようにしています。
それがお客様に対しての当り前の事だからです。
結局この後、故人様を、お家に搬送して自宅で、ご喪家と打合せをさせてもらい、店に戻ってきたのは午前中の10時頃だったと思います。
外はもう明るくなっていて、街並みをみると、いつものように、ご近所の方が、いつもの生活をすごしていらっしゃいました。
とまどいばかり…
葬儀の道具・葬儀の現場葬儀の施工が終了すると葬儀屋さんの最初の仕事は、葬儀の後片付けになるのでしょうか(葬儀屋さんはローソク立てを磨いたり、香炉の掃除をしたり、祭壇の道具にはたきをかけたりなど、掃除1つとっても、やることはたくさんあるのです。その道具の多さにはビックリです)
私は、小さな頃から葬儀社で生まれて育っておりましたから葬儀の道具等は、いつも見慣れてはおりました。
多少なりとも一般の方に比べれば、知識は多少なりともあったつもりです。
お店にそういったものはいつも置いてありましたからね!祭壇ぐらいは知ってます。
ただ、その他の道具になると、見たことはあるのですけれど「何という名前」なんだろうか?その他のものになると何がなんだか分かりません。
実際に葬儀の打合せが終わると葬儀屋さんは、お通夜の現場で祭壇を飾ります。
初めての現場で祭壇を実際に設営(飾りつけを)した時の事です。祭壇というのは無論1人では飾りつけは出来ません。
少なくても、何人かのチームを組んで設営いたします。
第1回目の設営のときは先程も紹介させていただきましたが A さん方に手伝って頂き設営を致しました。
現場に到着して車から祭壇を降ろして、箱の中から葬儀の道具を出します。その際は、素手で道具をさわるのは、御法度です。
祭壇をさわるにあたり手袋をして、手では直接、葬儀の道具はさわりません。
なぜかというと手あかが付いたり、手のあぶらが道具について、道具が汚れてしまいますからね!!
箱の中から道具を出し終わったら、いざ組み立てです。私は A さんにその時言われました。
曽根君、早く道具を運んで「足もってきて」「クサビもってきて」「幕抜天板もってきて」「六丁もってきて」と言われても、どれがどれだか何1つ分からず「チンプンカンプン」です。
早く運んで、もってきて・・・とAさん方に言われても「これですか?あれですか?」と戸惑うばかりでわかりません。
頭の中は真白でパニックです。あげくのはてに、急いでいて、焦ってしまい、道具を落としてしまって、破損です。
Aさん方に大目玉をくい、怒られっぱなしでした。
今思いますと私にもこんな新人時代のときがあったんだなーと懐かしく思います。
急性胃炎&胃潰瘍
葬儀業界に入って何年か経ち、お客様との打合せ、葬儀の道具の名前や現場の飾りつけなど少しづつではありますが、おかげさまでわかるようになって参りました。
これも経験と数をこなした事だと思いました。ただ、いろいろな問題もでてきたと思います。
自分なりに「壁にぶちあたったり、考えたり、悩んだり」することも多くなり、時にはそんな壁にぶつかって考え込んでしまったりもしました。
その結果、急性胃炎に3~4回、胃潰瘍に1回なってしまいました。サラリーマン時代には1度もなったことはなかったのですが、この業界に入って、こんなにも胃が痛くなるとも思ってもいませんでした。
学生の頃から体には自信があったと思っていましたが、サラリーマン時代とは、又違った、お客様に対しての気遣いかたが違うのだと改めて認識致しました。
ご葬儀は、お客様にとって「1度」きりの最後のセレモニーです。
絶対に失敗など許されないことです。又、失敗などということは絶対にあってはならないのです。
私はいつもそう心に思い、葬儀を施行させて頂いております。
胃潰瘍をなさった方は、ご存知だと思いますが、本当に痛くて、つらかったです。
おかげさまで現在は、病気も完治致し、体は絶好調とは言いませんが、普通に元気でやらせてもらっております。
現在の私は…
葬儀業界に入って、前社長から曽根葬祭を引き継ぎ、3年、5年、7年、10年、と私もこの業界に入らせてもらい10年以上が経ちました。
皆様方のおかげで、一通りの事を勉強させて頂いたと思います。
現在は最初の頃(葬儀社1年生の頃)と比べて、多少なりとは余裕があると思います。
10年が経ち思うことは、最初に書かせていただいた頃、新人1年生の頃の気持ちを忘れずにと、常日頃、心に思っております。
私の座右の銘は 「初心忘るべからず」です。
前社長からも良く言われておりました言葉です。
この気持ちを忘れずに、お客様に接して行きたいと常日頃、心がけております。
お客様に葬儀が終わった後に「曽根葬祭さんにお仕事をお願いして、本当によかったありがとう」と・・・お客様に言われた時は、この仕事をやらせてもらって、本当に良かったと思います。
これは決してお金では買えないものです。
私の財産でもあり宝でもあります。
これからもお客様が曽根葬祭を必要として頂けるかぎり、お客様のニーズにお応えしていき、心のこもった葬儀のプロデュースをさせていただければと思っております。 どうぞよろしくお願い申し上げます。